介護のはなし

雑記〜日々の泡立ち

土曜日と日曜日が休みな、平均的な会社員生活を謳歌しているワタクシ。

40代前半の頃までは、土曜日の早朝に起きて海に繰り出していた。

ほぼ毎日。

釣りではなく、サーフィンに講じていたのだ。

この生活を15年近く続けたと思う。

しかし年齢も40代に差し掛かり体力的に厳しくなってきた。

サーフィンってチャラいイメージがあるかもだが、本気でやっていた自分としては結構ストイックに向き合ってきた。けど年齢には逆らえなくなってきた時に転勤になってしまう。

いつも一緒に海に行っていた友人がいたからこそ続けられた事もあり、やはり転勤先で一人では海に行かなくなってきた。

 

そして50代の今は、土曜日の朝はゆっくり眠り、昼過ぎにスポーツジムに行き筋トレと有酸素運動をしている。すっかり健康的な生活をしている。けれどやはり上手く行かない仕事の事が頭の片隅にあり、ジムに行ってもモヤモヤがあったりする。鬱って訳じゃないと思うけど、スポーツして汗をたっぷり流すと自宅に篭っているより随分メンタルにもフィジカルにも良いとは思う。月額6,600円の会費を払い続けていれる余裕があるかぎり続けたいとは思っている。

このスポーツジム。おそらく半数は70代以上では無いかと思ってしまうぐらい高齢者が多い。

月額6,600円というのは毎週1回/月4回までのプランだ。ここに来る高齢者は週1以上通っているのではと思わすぐらいによく顔を見るので、多分1ヶ月フリープランなんかに加入しているのだろう。

フリープランは月額10,000円以上はする。

高齢者が一番お金を持っているとはいうけど、やはりお金を持ってるんやろなと思う。

時間もお金もある高齢者。ほんまに羨ましい。健康に気を使いジムに通う。

でもこれも一部の高齢者だけなのか。

 

今から8年前、

母が74歳で酷い認知症になった。母は父と二人で暮らしていたが、父も母に関心があるのか無いのかよく分からず、母の介護に関しては一切やらなかった。ケアマネやヘルパーさんに色々相談し認知症を患ってから1年後に特養に入ることができた。父はそれから一人暮らしになるのだが、80歳を過ぎた老人を一人にはさせれなかったので、母が入っている特養に運よく入れた。父と母の年金は足して20万円。これは2ヶ月分だ。1ヶ月を10万円で暮らしていたのだ。

貯金も底を付き、家に関しては持ち家だったので何とかやれていたと思うが、本当にカツカツの生活だったんだと思う。母が認知症を74歳という若さで患ったのは、この生活苦が原因にあると思う。家のお金の管理は全て母がおこなっており、父は銀行のATMの降ろし方さえ分からない人間だった。父は本当に引退後(多分65歳)は年金生活に入り、気軽に生きてきたと思う。母には老後を悲しく過ごさせたと思うと辛い。もっと早く気付いてやれば、もっと早く金銭的な援助をしていればと思うと後悔してやまない。

 

介護を3年間やってきた。

母の場合が一番大変だった。

ある時、実家に訪れると母が寝込んでいた。家中がおしっこ臭い。とにかく様子がおかしかったので近所の主治医に連れて行った。そしたら腰の部分が床ずれで壊死し大きく腫れ上がっていた。体重も31k gしかなかった。。。

ここから介護生活が始まった。毎週土曜日の午前中に病院に連れて行った。治療が終わるとその足でデイサービスに連れていく。土曜日はずっとそんな生活パターンだった。ケアマネと1週間のスケジュールを組み、デイサービス、ヘルパー、ドクターに来てもらうプランを立てた。とにかくワタクシは母親のオムツなんて代えられない。誰かに助けてもらう事を1番に考えた。ワタクシ自身や嫁さんがみてやれば良いのだが、それはしないと決めた。ただそうなると月に掛かるお金がすごい事になる。

デイやヘルパー、ドクターは無料で来てくれない。母用のベットもレンタルしたからお金が掛かる。食料も作れないから、宅食を頼んだりもした。栄養価の高い食料の差し入れもした。オムツも買った。そんなこんなで1ヶ月で7万円は母の介護だけで掛かってしまった。けれど他人に任すという方針は変えなかった。あくまで助けてもらう!自分はこの部分にはこだわった。

1年掛かって体重は35kgまで戻った。4kgしか増えてないように感じるが、10%増えたと思うことにした。身体的には戻りつつあったが、認知症は酷くなるばかりだった。ケアマネには特養に入れる方針を早くから伝え動いてくれた。12月のある日に特養から電話が鳴った。部屋が空いたので明日にでも入寮してくださいと。噂では聞いていたが、すぐに入らないと次の人に回してしまうのだ。流石に仕事があるので明後日でもいいかと聞くとOKが出た。

特養に連れていく朝、今でも忘れないがその時にお世話になっていたヘルパーさんが母の着替えを手伝いながら「これで最後やね。私のこと忘れんといてな。」と話された。母はそのヘルパーさんにいつもキツい口調で話していた。認知症が酷くなると性格が変わるのだ。いつも大人しく穏やかだった母の姿はそこにはない。ヘルパーさんには感謝しかない。母を許してください。

これがこの家で過ごす最後の瞬間になると思いながら車にのせた。ちなみにこの時、父は不在であった。多分、友達と喫茶店でも行っていたのか、それは定かではない。この日に母が特養に行くことは説明していた。カレンダーにも書いていたし、口説いぐらい話したのに当日の朝いなかった。。。

車に乗るといつもより長い距離を走っていることに気付いたようだ。「どこに連れて行くんや!はよ帰せ!」そんな事を口走っていた。特養に到着すると、母は「特別養護老人ホーム」の看板に気付いたようだ。「あんた!ここ老人ホームやんか!うちをこんな所に入れるんか!」と怒鳴り始めた。しかしあっさり車から降り、特養の玄関に連れて行くと観念したのか、疲れてしまったのか分からないが応接室に入った。

応接室でもソワソワしており、見兼ねた特養の相談員の方が母を部屋へ連れて行った。応接室で事務的な手続きを済まし、母専用の部屋を見に行った。母はすっかり眠りこんでいた。

母の介護が終わった瞬間だった。とにかく色々な方の世話になった。デイサービスとかヘルパーさん、ケアマネジャーの存在なんか知らんかった。この時の介護の経験が続く父の介護に役立った。

 

母と二人で暮らしていた父は、母が入寮したその日、なぜ母がいないか気にもならんかったようだ。一週間後、父に会いにいくも母のことは気にもしていなかった。どうも勝手に母はワタクシの家にいると思っていたようだ。。。ちょっとやり切れなくなった。これからは父の介護を考えないととは思ったがワタクシも疲れていた。ちょっと自分の土曜日を過ごしたいと考えるようになった。でもそんな余裕な時間もそうは取れず、すぐに父の介護の準備に入った。経験上、認知症の対応は後手後手になる。すぐにケアマネに相談。母の時にお世話になった方を指名した。ぶっちゃけこの人との出会いが大きかった。やり手というか親身にもなってくれたし、中々入れない特養にすぐに入れたんやからね。

今回も基本的な方針は、身の回りは全部ケアマネ、ヘルパーさんに任せる。ワタクシは食料品、日用品の補充、ガス栓を止める、家電しか使わせないなどを家の約束事を徹底。やはり火災が怖いのだ。そして早いうちに要介護3を取って特養に入れさせること。とにかく先手先手でいくのがベスト。母の時に味わった、「気付いたらとんでもない事になってるやん!」は避けたかったのだ。

そして2年後、父も母と同じ特養に入ることができた。これも相当に運の良いはなしだ。両親が同じ特養に入れるんやもんね。また2020年の2月に入ったので、まさにコロナ突入のタイミングでの入寮だった。運が良かった。

 

ここでお金のはなし。

デイサービスやヘルパーさんに任せると、母で月に7万円。父は5万円ぐらい掛かった。それにプラスして日々の食費や日用品。

特養に入ると、母で月5万円弱。父で6万円弱。食費も薬代も含む。

母の年金は2ヶ月で5万円弱。父が2ヶ月で14万円弱。

母の場合、デイサービスやヘルパーさんに頼むと赤字で父の場合は少し黒字ぐらいな感覚。

特養に入ると、母の場合は少し赤字だったけど、父の年金から補填したから我が家的には黒字。

父の特養は黒字で少し余るぐらい。

こうして比較しても特養に入ることがベストな選択だった。特に年金が少ない両親にとっては家を維持することも出来ない額だった。認知症になったタイミングやワタクシが転勤から帰ってきたタイミングも全て運が良かった。

 

 

母は79歳に特養で永眠。父は今も特養で元気にしている。

コロナ禍で亡くなった母とは死に目に会えなかった。母は危篤状態であったが、そんなに長居することが出来なかったから早々に切り上げたのだ。自宅に帰り1時間後に特養から訃報の連絡が入った。

 

葬儀後、母の遺骨を実家に帰した。そう今もお墓に入れずに実家でワタクシの家族と一緒にいる。母は寂しがりやだったので、父が亡くなったら一緒にお墓に入ってもらおうと思っている。

 

 

 

ひろさん

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